棚卸し頭の中

  • 23時から10時半までしっかり寝る。一日おきに寝不足と寝すぎを繰り返しているようなイメージ。睡眠大事。

 

  • 父の夢を見る。ホテルのチェックアウト時に大量の荷物をカバンに詰めている。とても焦っている場面。その後は自分が車を慎重に、ほとんどクリープ現象だけで運転している。クリープ現象とはいいものだ。なにもしなくても動く。でも車を快調に飛ばすことはとても気持ちが良いことだ。たぶんマリカーの動画を見ていることが影響している。なにか父の残した情報でうまくやることができている。ここでいううまくやるというのは最下位にならないということである。
  • いったい潜在意識では何が起きているんだろうな。一生わかることはないんだろうけど。自分とは予測不可能、コントロール不可能なものだというのはよく知っている。多少気にはなるけど。自分自身も含めて、大体の身近なものは1%も理解をできないまま死んでいくんだろうと思う。それでいいと思えるようになったので、気楽な一方、専門性につながるような好奇心は薄くなったような気がする。

 

  • ディスプレイを見るのがすごいしんどかった頃が、会社員してた時期にあった。目の奥が痛くなったり、胃がきりきりしたり。仕事でディスプレイをいっぱい見ているという点が原因だが、家に帰ってLINEするためにPCではなくスマホを見ている間も同様の拒否感が出たので、おそらくその時は「ディスプレイ」がだめである。
  • 目は消耗品であるという認識がぼくの意識の中にはあって、視力がどんどん低下し続けるとある日ポンッと盲目になるのではないかという危機感を持っている。これはイメージなので実際にそうなるかは知らない。近視の友人には20代半ばで緑内障になった人もいるがおそらく投薬しながら普通に生活している。
  • ぼくは左右の視力がかなり違ういわるるガチャ目で、パソコンは主に悪い方の目で、5メートル以上先は良い方の目で焦点を合わせる。メガネを掛けている間は、良い方の目でほぼすべての需要を賄っている(悪い方の目はメガネを掛けると近くが見えづらくなるため)。
  • 将来盲目になったその日からは、おそらく本も読めないし(もともと死ぬほど本が好きというわけではないのでその障害を乗り越えてまで読む気が起きないだろうと思う)、旅行にも行けないし(景色が見えないのだから当然である)、そのかわり均質な「生活」が続いていくのだと思う。これは別に世の中の視覚障害者がそうだと言っているわけではなくて、「自分が盲目になったらそのような生になる」というイメージを説明しているだけだ。このイメージはかなり自分のディスプレイに向かう態度に影響していると思う。

 

  • 毎週の予定、のうち一つをがっつり開けた。ベトナム語に繋がりそうな自然言語処理の勉強をしつつ、関連する小銭になりそうな仕事をするため。 風穴感がある。変化をもたらさないとどんどん心が死んでいく。
  • ツイッターとか見るのは良くない。完成された世界しか広がっていないので自分は何もする必要がないという感覚にとらわれる。生きていくだけでもかなりいろいろなにかする必要があるのに、何もする必要がないという感覚にとらわれるのはとても危険だ。