濡れていない
下ネタに走るわけではないけど、このような映像を見ると現在の居場所の濡れていなさを自覚する。
濡れていることは青春に取り組んでいるということで、もしかしたら、未完成な自分が好きでいられるということかも。
ぴゅんって完成したところに行けるならそうします、ってもし思えるなら、それは未完成な自分を好きなのじゃないのだから、乾いている。
ずぶ濡れになって他人も川に引きずり込んでいく、それがやんなきゃいけないことなんじゃないのって。
人を引きずり込んで来れないなら、溺れてないんだ。
溺れずして何が青春だ。
泳力があって、どこかに行ってしまえるうちに、
視覚的な甘味や酸味をもっと飲んでおかないと、
力尽きてしまうかもしれない、
googleマップの星のリストを見てそう思った。
ベトナムは人があって、人にはじまり人に終わる場所なんだよなあ。
人セラピーには最高だけど…セラピーは終わってしまうんだよなあ
追記…これを読み直した。線を引くというのが必要なことかも。