■
机の上にリップクリームがあるのを見つけた。
唇の乾燥を防止するリップクリーム。
5月頭から毎日うだるような蒸し暑さだ。
4月中はこの机でリモート勤務していたはずだ。
いつから机の上にあったのか知らないが、12月1日に神戸三宮駅の売店で買ったリップクリームがある。
ベトナムで必要になる期間は極めて短いリップクリーム。なんならなくても十分にやっていけるだろう。
やがてハノイにも冬が、2020年末が来るが、その時にもぼくはこの家で、日常的にはほとんど使わないこの机と暮らしているのだろうか。
それとも今の会社をやめたりして、引っ越してどこかリップクリームが必要な場所に行くのだろうか。
京都にいた頃、5年と1日あの街に住んだけれど、京都の隅々まで探検して、道の形を覚えて、一人でいられる場所をたくさん見つけていったのは、ほとんど最初の一年の中でだった。
二年目も後半になれば、だんだん一人でいられる場所を使って、実際に一人でなにかに没入している、要するにどこであってもできそうなことばかりしていた。もちろん、大学からそれは出てくるわけなので、大学は必要だったわけだけど。というか、大学の外からくるものよりは、大学の中からくるもののほうがそのときには時間を使う価値があると感じていたわけだけど。
でもともかく最初の1年目は、場所に少しずつ埋め込まれることを楽しめる期間だった。
5年同じルールでやるのはなかなかしんどかったけど、もし違うルールで、もう少しお金も持って関西で続けられるなら、それはありだったかもしれないと当時も思っていたはずだ(少なくとも、東京に戻ることを積極的に望んだことはなかったはずだ)
28番のバスは初めて乗ったかもしれない。どこに行くのかわからないバスだったけど、Ô Chợ Dừa – Đê La Thành – Ngọc Khánh – Kim Mã – Nguyễn Chí Thanh – Chùa Lángとぐるぐる迂回して行った。バスのルートは知らなくても、場所一つ一つは見知った場所だ。どこで降りても、そのあたりで腰を落ち着けられる場所を知っている。1年と4ヶ月は大学でいえば2回生前期試験が終わったところに当たる。たしかにそんな感じだ。新しい人間関係にも前のめりではなくなったし、内向きに手元の「ありたい像」を追いかけて、でもまだ集中して取り組めないでいる。そしてそのありたい像は一周前の5年から引き継いだものだ。
結局東京で働いていた1年半が宙に浮いてしまった…ハノイ生活をなんとか始められるだけのお金だけを残して。(いや、のったりとした停滞の期間を経て、脳の動き方が根本的に変わったので、他に何もなかったというわけではないのだが)
目が疲れている。昼も夜も、平日も休日もディスプレイばかり見ているからだ。明らかに。
学問ではなく学問的知見の吸収で、無意識に棚上げしているリストが大量にあるんだろうな。
学問(生産)そのものへの意欲が、あののったりとした停滞で手放したものかもしれない。
もっと平凡な、自分の知性に対する親密な社会的な、承認欲求みたいなところだけが、歯抜け状に残っていて、それを自分で、健全だと感じている。
6月が運良く始まってくれる。
Sktは引っかかりの大きい対象だ。
この6月が、前進か、浄化か、はたまた生産か、未来からみたらどの様に見えることになるのだろう。
リップクリームを塗っている未来の僕は、この6月を特別な6月だったと思ってくれるだろうか。